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■2009年11月05日
内田 麻理香 台所科学キッチンサイエンス 料理のコツ
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勉強ばかりして東大に入ったけれど、いざ家庭に入って料理をしたら、まともなことができなかったと書いています。とろみをつけるために片栗粉ではなく小麦粉でやって失敗したりしています。しかし、ここで高学歴の女性は違います。その失敗を科学的に解明し、実験もしています。あたりまえのことですが、あんかけには片栗粉が適し、ホワイトソースは小麦粉が最適です。 スポンジケーキの電動器具での混ぜ方は、高速5分してあと低速で4分かき混ぜると気泡が均一化してきめの細かい生地になります。覚えておいても損はないでしょう。 簡単なチーズの作りかたものせています。牛乳500ミリリットルに生クリーム50ミリリットル、一個の半分レモン汁と塩。材料を全部入れ、煮立てる。沸騰まで止め、レモン汁を入れて、凝固させ、それをキッチンタオルで漉せばいいのです。私も作りましたが、とりわけ美味という感じはありません。 卵の保存方法は丸い方を上にするともちがいいと書いています。そこには気室があって、呼吸をしているからだそうで、下にしては呼吸ができません。生椎茸は軸を上にすると傷みにくい。なぜならはえたままの状態にすると、胞子が落ち、それが黒ずみの原因なのです。 タケノコを切ったときに、白い粉のかたまりが出てきます。私はいつもこれを洗い流していました。もったいないことをしていたのです。これはアミノ酸の一種のチロシンで「ストレス耐性を高め心地よい感情ややる気にかかわるホルモン・ドーパミン」を増加させる栄養素だそうです。 |
AM 10:11:53 |
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■2009年11月04日
林 美一 江戸艶本ベストセラー
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将来仕事ができなくなったら、これらの艶本を読んで見ましょう。いまでいう成人漫画であり、随所にいやらしい絵が載っています。メモして将来に備えましょう。 英泉 「艶本恋の操り」 英泉 「志の婦寿李(ぶずり)」 豊国 「逢夜鷹の声」 豊国 「絵本開中鏡」 英泉 「絵本婦慈の雪」 高雁亭茎立 「祝言色女男思(いろなおし)」 葛飾北斎 「間女畑」 西田直養文 冷泉為恭 「あかゐの月」 立田土瓶 「好色開ケ原合戦」 桂文治 「太開好色合戦」 曲亭馬琴 「絵本多歌羅久良」 国芳 「口吸心久茎(ちゅうしんぐら=忠臣蔵) 口吸でキッスのことで、江戸では「チュウ」 種彦 「春情妓談水揚帳」 柳亭種彦 「艶紫娯拾余帖」 柳亭種彦 「似世紫浪華源氏」 柳亭種彦 「亥中源氏須磨琴」 歌麿 「絵本笑上戸」 落書庵景筆 歌川国貞 「風○すい妓傳」 猿猴坊月成 「大和妖狐傳」 なかなか原文は読みづらいのですが、いまのポルノ映画のように女性の歓喜の声をこのように記しています。「スウスウフンフン」「アアモウモウ」「オオ、いくいくいく」「ええ、よいよい」「それそれ、いくよいくよ」「どふしませう、死ぬよ死ぬよ。ははは、ふふふ、あれあれどうもどうも」「ヒウヒウフウフウ」 |
AM 11:09:48 |
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■2009年11月02日
ジョージ・ジョンソン 世界でもっとも美しい10の科学実験
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フランス革命のおり、ギロチンの刑に処せられたラヴォアジェの最後の実験が、自分の首にギロチンの刃が当たった瞬間から何度まばたきするかを、群衆の中にいた助手に数えさせるというものであったそうです。そう思わせるほど、ラヴォアジェは科学の研究にのめり込みました。豊かな資産があり、そのために他人に自分の時間を提供し、生活の糧を得ることも必要ではなく、思う存分時間を科学実験に費やしました。それでとうとう「質量保存の法則」を発見したのです。 もし私の食うに困らないだけの資産と現金があったら、はたしてラヴォアジェみたいになるかと考えてみましたが、はっきりと自信を持って言えますが、ならないでしょう。定番通り、女性と贅沢にカネを惜しみなくつぎ込むでしょう。今私が禁欲的な生活をしているのは単にカネがないからです。 美しい実験といっても、科学者は何度も失敗を重ね、なかには光の速度を測ろうとしたA・A・マイケルソンなど頭がおかしくなったほどです。カエルの足だけを切り取って、電流を流してピクピクする実験や、パバロフの犬のように、手術されて唾液腺を口の前にもってこられ、唾液の量を測る実験など、美しいとはいえないでしょう。 あとがきにエピソードを書いていますが、科学者の白衣が白いうちはあんまり仕事をしていないということになります。「真っ黒」に汚れないと一人前の仕事にはなっていないということがわかります。科学者は少しも美しくはないのです。 |
AM 11:06:00 |
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■2009年10月30日
種田山頭火 山頭火随筆集
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明治15年に生まれ、大正15年に放浪生活にはいり、昭和15年死んだということで、この15がポイントだと解説で書いています。 10才の時に、母親が井戸に飛び込んで自殺、この大地主の家庭の中で何があったのでしょうか。父の竹治郎は村の助役なったり、のちには政治運動にのめり込み、資産が傾きます。挽回しようとしたのでしょう、酒造場を買い取り、事業を始めますが、酒を腐らし、あえなく倒産。大正4年、彼が33才の時です。父親は行方不明、彼は妻子共々熊本に逃げます。そこで古本屋を開きますが、青雲の気持ちがおさまらず、古本屋のちに額縁屋を女房にまかせて、東京に出ます。東京市の職員になりますが、大正12年関東大震災のドサクサで憲兵に無政府主義者と間違われ、巣鴨刑務所に入れられ、この経験が放浪へと向かわせます。死ぬまであちらこちら行乞(念仏を唱えて喜捨を受ける)をしながら、歩き回って、俳句を作っていきました。 分け入っても分け入っても分け入っても青い山 笠にとんぼをとまらせて歩く けふもよく働いて人のなつかしさや 私が好きな山頭火の俳句です。仏教では、人の一生を学生期、家住期、林住期、遊行期と分けています。人は子供が一人前になったら、森に住めと言っているのです。子育ての役目が終わったら、もはや世間のシガラミにとらわれることなく、自分の好きなことをしろと言っているようにもみえます。好きなことをしろといっても、また女性と関わり合って、また子供を生むような行為をしてはいけません。子育て時代、したいとと思ってもできなかったことをしろというのでしょう。これは俗事なことではなく、少々高尚なことをやれと言っているのです。変なイロケを出すと、カネを巻き上げられたあと、女から睡眠薬を飲まされ、練炭で自殺と思わされて、殺されてしまいます。 私もこのたび川柳を作ってみました。 一応は疑ってみよう女の親切 |
AM 11:02:13 |
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■2009年10月28日
藤原道長 繁田信一編 御堂関白記
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藤原道長の漢文(白文)の日記を現代語に翻訳してくれています。当時公家たちは日記をつけることがあたりまえのことになっています。繁田信一によりますと、日記をつけることで、前例を確立することにあります。煩雑な儀礼や交際のやり取りを忘れないために書いていたのでしょう。 華やかな王朝絵巻と裏腹に、内裏に死体がごろごろと横たわっています。道長の日記にはそのことがたくさん載っています。 長保元年丁亥(999)『源道方が来て言うには「内裏で穢れが発生しました。定家の宿所の床下に死骸があったのです。8才から9才かくらいの童の死骸です。あちこちを犬が食いちぎった死骸です」とのことである』 長保2年(1000)辛酉「法興院で不完全な死骸があることによる死の穢れが発生する。また、内裏でも同様の穢れが発生する」 寛弘8年(1011)「殿舎にはあがらずに庭先に立ったままというかたちで内裏に出仕するが、その折に犬の死骸を見つけて内裏より退出する」 寛弘8年『内裏から遣わされた蔵人の藤原惟任がわが家の門の外まで来る。その惟任が伝える一条天皇さまの仰せは、「内裏の北対の北側で人間の死骸の頭部が見つかった。これによって穢れが発生したと看做さなくてはならないものだろうか」というものである』 また内裏の近くの「官庁街」で殺人事件も起きています。 寛弘2年(1005)「右近衛番長の身人部保友が偉鑒門の前で盗人に射られて、いまや瀕死の状態」 天皇家の相撲好きは平安朝以前から続いているようです。 寛弘4年(1007)「相撲の取り組みが5番だけ行われるよう、一条天皇様が手配なさる」 1000年前も女同士のいがみ合いはあいります。前妻と後妻の仲の悪いことは今も変わりないでしょう。当時はそれを「後妻打(うわなりうち)」と言っていました。地位の高い女では、家の使用人らが後妻の家に殴りこみをかけます。道長の息子教通の乳母であった蔵が、道長の使用人をけしかけて、中級貴族藤原輔親の後妻の家で「乱暴」を働かせたということも日記に記されています。 道長の歌に「「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思えば」というものがあります。最高権力を持ち、天皇すら道長のご機嫌伺いするほどですから、まさしくこの歌のとおりであります。 『寛仁2年の10月16日というのは、太皇太后・皇太后・中宮の三つの后の地位が道長の三人の娘――藤原彰子・藤原妍子・藤原威子――によって占められることが確定した日であり、かねてより後一条天皇および皇太子敦良親王の外祖父にして関白藤原頼通の父親でもあった前太政大臣道長は、その日、本当に「この世をば わが世とぞ思ふ」といった心境にあったことだろう』 と、結語に繁田信一は書いています。 |
AM 11:00:46 |
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