「恋人」が登校しなくなってしばらくの間、下世話な噂話が校内に流れた。しかしそれも、「恋人」を心配する声と同様に、1月もしないうちに消えた。
それからも、ケイスケだけは、「恋人」の家をしばしば訪ねていたらしい。たまに何も言わず、部活に来ないことがあって、そんな日は決まって、「恋人」の机の中にたまったプリントが減っていたからだ。
そんなある日の真夜中、僕のケータイが意地の悪い摩擦音を鳴らした。 ケイスケからだ。家に来いと言う。僕はため息をつき、服を着替えてケイスケの家に向かった。 僕とケイスケの家は1kmも離れていない。 彼の両親は出かけていて居なかった。
ケイスケの部屋は酷い有様だった。まるで地震と台風と泥棒と警察の家宅捜索がいっぺんにやって来て、その力を競い合ったかのようだった。 壁には凄まじい数の傷と穴とへこみがあったし、天井の蛍光灯はぐしゃぐしゃに叩き割られていたし、箪笥は倒れていて、中の洋服は無残にもびりびりに引きちぎられていた。 ベッドなんかはマンガの様に、スプリングが飛び出していた。 様々なものの破片が散乱する床に、ケイスケはバットを握って座り込んでいた。足の裏は血だらけで、手の甲の皮は痛々しくすりむけていて、目にはほとんど光が無かった。
僕が部屋に入っても、ケイスケは床の一点を見つめたまま、ただバットだけは手から離した。
バットは、ごろ、と低い音をたてて数cm転がり、ぱき、ぱきと数片のかけらを潰してから、けだるそうに止まった。 僕はそれを目で追いながら、運動嫌いで野球なんかやったことの無いケイスケが、なんだってバットなんか持っていたんだろう、などと能天気なことを考えていた。 この頃の僕は、身の回りで起こっている全てのことに現実感が持てず、どんな緊迫した場面に遭遇しても心が動かず、真剣に物事を考えることが出来なくなっていたのだ。 ただ、そのまま黙っているわけにもいかず、何か言わなくちゃいけないんだろうな、と思って口から出した言葉がこれだ。
「お前、オナニーでもしてて盛り上がっちゃったのか?根っからのサディストだな。」
我ながらひどい台詞だ。 ケイスケは僕の声が聞こえたんだか聞こえてなかったんだか、手を一瞬ぴくりと動かして、ぼそりと呟いた。 「痛ぇ。」 当たり前だ。足の裏にガラスがささっているのだ。 「救急車呼ぶぞ。立てそうも無いしな。」
ケイスケは「ひゃくじゅうきゅう」と呟いて、フッと笑った。僕は119番をコールしながら、ケイスケの机の上を見た。シャープペンシルもボールペンも全部真っ二つにぶち折られていた。「火事ですか、救急ですか。」遠い声が聞こえた。やれやれ。僕は深いため息をついた。
(続く) |
PM 11:01:46 |
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